そんな感じです

開けっ放しの引き出し、ひらけたまんまの教科書、剥げたマニキュア、曲の終わり、祈り、さようなら、ごめんね、他人の家の晩御飯とお風呂のにおい、鳴り止まない音楽

永遠なんてないの あるのは今だけ、

いまを生きているか?過去を生きていないか

でもドアを開けても何もない。

そんな感じです

 

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まぼろし

双極性感情障害と診断された。つまりは躁鬱病いうことらしい。めちゃくちゃショックだった。だからこそ手帳早く取りたい、早く障害者と認められたい。その方がラクだから。もう人に迷惑をかけたくない。って何度思っただろうか。昨夜ODした安定剤がまだ残っている気持ち悪い胃を服の上から撫でながら、いまブログを書いている、明日が永遠に来なければいい。これよくない?じゃなくて、よくないんですよ。体調なんて良かったことなんて一度もないわ。と思うくらいには重症で、後遺症で何を聴いても響かない。句読点の位置がわからない、文章読んでも音楽聴いても好きと言われてももう終わってるんだ私は。

believe me sorry just i said

まぼろしを見ているんだと思う、躁状態の勢いだけで生きていけたら、ごめんねって言わなくてもいいように、ゲロを吐くみたいに化粧落とさないまま寝るみたいに掃除をサボるみたいに。

夜の島

夜その島から明かりは消える、それと同時に人々も消える、笑い声も消える、赤ん坊の泣き声も、鳥も空も、大地も雲も、海もビルも全てが消える。夜になった途端に全て消える。

全部すぐに消えるとわかっているのに、夜になるその瞬間まで人々は完璧を貫き通したり愛を伝え合うのに必死で、最後に生きててよかったなんて口にする。それが美しいと誰もが思っているのはそれがないと平和が保たないから。

どこにも素晴らしいものもなくて、どこにもくだらないものもない。本当は歴史も全部でたらめで、誰かが終わりまでの筋書きを書いている。それに基づいて自分たちは動いているのに、誰も気づかない。だって、気づく前にいつも消えるから。

 

どれだけ回ってもまた同じところに戻ってくる。どのくらい苦労をしても、どのくらい楽をしても、後悔しても満足してもまた同じことを繰り返す。記憶はなくなる。いつも同じ。

だからもう疲れた。気づいてしまった島民は、ほんとはこっそり一人ずつ島から抜け出していた。夜になる1分前に、誰にも気づかれずにその島から出れば、彼らはそのまま生き延びることができた。でも、彼らは島から出ても、また同じことの繰り返しだった。彼らだけが記憶を持ったまま同じ人生を繰り返した。それはたまらなく、退屈だった。

 

彼らは島に戻ってきた。一人残らず、退屈に耐えきれなくなった。だけど残っていた島のみんなは彼らを覚えていなかった。どんな歴史書にも彼らのことは載っていなかった。何故なら抜け出した後の夜に1つ残らず消えていたからだった。彼らは激怒して、こんな島滅びてしまえと、戦争を起こした。島は彼らの願い通りに滅びた。一人残らず、消えた。

 

 

彼らが滅びさせてしまったせいで、機能しなくなってしまった島が、幾度夜を迎えても彼らを消すことができなくなったから、彼らはどんどん老いていった。彼らは島を抜け出す日の年齢から先を経験したことがなかったから、死の恐怖に怯えた。残った者だけが滅びた島の真ん中で食べ物も着るものもなく身を寄せ合って、毎晩消えないことを願った。お互いに希望を語り合った。自分が壊滅させた島や、自分が殺した島民に、毎晩懺悔した。だけどやっぱり、老いていくだけで、死ぬことが出来なかった。記憶もずっとなくならないままだった。毎晩絶望と空腹と闘いながら、死ぬことだけが出来ないまま、また島は夜を迎えて、だけどもう死んだ島は、彼らのことを許していたし、もう忘れていた。彼らだけに自分たちのしたことの記憶と付き纏う罪悪感だけがあって、それだけだった。

 

何年も何十年も時が過ぎて、一羽の鳥が死んだ島にやってきた。真ん中で身を寄せ合って空を見据えている彼らを見て、鳥は彼らの目をついばんだ。彼らは涙を流した。やっと終わりが来たと、あんなに怯えていた死が来てくれたと喜んだ。喜んで、今まで流すことのなかった涙が流れて、それが島の周りを覆って海になった。その海で、やっと彼らは終わりへと流されていった。鳥はその島に住み着いて、鳥がまた新しい文明をもたらした。島は栄えて、また夜になると全てが消えるようになった。もう誰も島から出ることはなくなった。その分に見合うだけ、希望と絶望が用意され、海には時たま鮮やかな光を反射させた。全てが消えるサイクルが一番誰も苦しまない摂理を誰よりもわかっていたのは、何十年も経った後、この島にやって来た一羽の鳥だった。

 

もうこれで誰も苦しまないと、毎回夜になって自分や周りの全てが消えるたびにその鳥は思った。ただ何故か、自分がついばんだ目の持ち主たちが、どこかで間違っていると叫んでいるような幻聴がやまなかった。彼らには目を失った以上、真実も嘘も見えないのだから、もう現実に彼らは消えてしまったはずなのに、どこか見えないところで真実も嘘もわからずにまだサイクルやルールに抗っていた。鳥にはそれが理解できなかったから、いつも無視して消えていった。消えてしまえば終わりだし、どこにいるのかもわからない声に怯える必要などないと思っていた。案の定その島で鳥が消えると鳥の記憶も全てが消えたから、鳥はいつも消える直前に不可解に思うくらいだった。だからもう、彼らの声は届かない。いつまでたっても報われずに、やっぱり自分たちがどこにもいなくなったって、昔の自分たちの誰かから許されない行動を懺悔する。消えても消えない呪いが、いつまでもこの島を動かしていたのだった。この島が動くのも消えるのも、全てはその呪いが生まれるという未来と、生まれてしまった現実と、生まれたら呪いは消えないという過去の現在のルールに則っていた。彼らは永遠に、自分たちがわからずに、ただただ苦しんで、その島を動かしたり消したりを繰り返した。そのことにもう、誰も気づけない。歴史にも残らずに、誰かが助けに来ることもない。だけど不思議と苦しくないのは、本当の意味で苦しみがないのは、自分たちが消えていながらに実際は見えないところに存在していたからだった。

 

夜の島は今日も生まれ、今日も消える、今日も生まれたまま消えていく。一度に全てを生み出して、一度に全てを消してしまう、そんなことができるのは、全て彼らの生み出した反逆と、そこから派生した呪いのお陰だから、この島はいつまでも動いている。綺麗なまま、生まれたまま、なにかを愛する姿勢を保てる、それが全て本当は誰かのお陰で回っている。本人も知らないところで、誰かのマイナスは、回り回って誰かのプラスになっていく、そしてそんな事実もそんな全ての人の才能も世界中に知れ渡ることなく、世界中がそれらを嘲笑って、今日も消える、消えるのに誰かを愛したくて仕方ないので、今日も島は愛すべき無駄を抱え込んだまま、全てをなかったことにする。もし、誰かがこのどうしようもないどこにもない明日の存在に気づいてしまったとしても、もう逃げ出す必要はない。絶望する必要もない。だってもうそんな暇は用意されていない。だから私たちは、本当は気づいているのに、気づかないふりをして、なかったことにしながら、無駄を生み出す。生まれたまま、消えていく。

馬鹿ばっか

自分がどこにいるかもわかっていないのに、周りのほとんどを見下してしまう、勝手に自分から他人との関わりを諦めて傷つくのを避けて、孤立に向かってしまう、自分から何でも破滅させてしまう

が、治らない

 

治らないんだよ口が悪いのも腹の底が黒いのも隠せないよ。いつまでたっても。だから深夜まで起きてお腹の黒いのを自分一人でまた煮詰めたりしてしまうのをやめなきゃなのに。治せないからいつまでたっても周りからの理解が得られないんじゃないか。自分が変わらないから。

 

いつも喧嘩腰でぜんぶ見下すとこから入られるんだよ、クソムカつくわ。お前なんかより100も200も天才だと思ってるけど伝わらなくていいよ。一生わかんなくていいからもう見ないでほしいよね。

 

ずっと裏表が激しいし人に対する評価もいつも変わってしまうしそもそも人を自分の価値観に当てはめてしまうのを愛と勘違いしてしまっている、ずっと一生懸命で、自分は周りと違うなんてわかんなかった誰も教えてくれなかった。なのに何か私がムカつくことをした途端非難して、後ろ指さされるよ。そんな空回りで結局自分の首絞めてきたよずっと。昔からなんも変わってないよ

 

やっと最近になって、自分は他人と普通の適切な距離感で関わることが無理なんだってことに気がついて、物凄く寂しがりでわがままなくせに、本当は人のことがそんなに好きじゃない。自分のことを適切な言葉にして表すのが苦手で誤解されやすくて、頭の回転が速いせいですぐ人の痛いところを突いてしまう。思ったことをパッと口に出してしまう、空気が読めない。冗談を本気にしてしまう。何でもやり過ぎてしまう。自分の機嫌の上下が物凄く激しいし、その気分のまま人と接してしまう。他人のことなんて手に負えないくらい自分のことで精一杯な時でも、大切な人にはとことん自分を捧げてしまう。裏切られたり嫌なことをされたらすぐそのことに気がつけない。周りの空気が読めずに、自分がタブーを犯したことにすら気が付けない。後から怒りが爆発する。誤解されやすいのにSNSに悪口を書いて自分が完全な悪者に立ってしまった。自分から自分が悪い方に持って行きやすい。自分が死ねば終わると思ってしまう。自分が折れれば相手は満足することを学んできてしまった。自分がいつも悪者になって終わってきた気がする。それが積もり積もって、だんだん腹黒くなってきた気がする。たぶんここまで書いたこと全部、他人から見れば「ヤバい奴」「関わりたくない奴」「害悪」と思われると思う。知ってるよそんなのずっと自分が一番。自分がずっと毎回おんなじ形で人間関係壊してきてしまったから。わたしにも周りにも悪気なんてなかったよ、だからわたしが悪いでいいよ、それでいつも自分だけ傷ついた気持ちで終わったら自分が周りを嫌いになって自分から離れて後は自分の悪口を聞き流してあいつらを悪者にすれば良いだけだったから。

 

なんかずっとずっとずっとずっと空回りしてきた。誰にも理解されないって本気で思っている。一生誰か一人ともわかりあうことなんて無理だと思っている。馬鹿ばっかって自分から思わなきゃやってられないくらいには独りだ。ずっと。

 

 

 

仮にわたしが完璧に悪いことをしてしまって、相手がそれに見合う無視や嫌がらせをしてきたとしても、そのことを今でも相手は引きずっているんだろうか?私こそ人にした悪気のない悪いことをすぐ忘れてしまうから嫌われるけど、その分理解ができなくて、ずっと引きずっている。

誰も自分のことしか考えられなければいいのに。もう誰かに傷つきたくないし、誰かを気づかないところで傷つけたくない。だからもう人に約束できないし、人に本気で大好きだよって言えない。ずっとどっかで冷めた目をしてしまっている。だからどんどん、毎日自分と他人から見た自分がかけ離れてゆく気がする。自分がいない、自分が周りから本当に大切にされたことが自分でわからないし、いつも自分が相手を傷つけてその10倍強いので裏切られてきたから誰も信用することができない。だから誰かに愛されている自覚がない。どうせすぐ飽きられると思っている。どこにも自分の居場所がないし、作ろうともしない。だってどんなに嬉しいことを言ってくれても、どんなにそれで自分が希望を持って立ち上がろうとも、全部壊れてきた。みんな離れていった。そしてその原因は、いつだって私だったからだ。だから人にも自分にも絶望しきっている。もうどこにも居ないのが自分なら大切に思う人も嘘だ。自分は居ないから愛する人も同時に消えた。未来の全部が1つ1つの自分の誰かから許されないことと、誰かからの報復によって、消されてきた。すぐ消えるのに、最大限の力で人を引き離そうとしたり視界から消そうとしたり、どうせまたそうなるなんて思わずに、人に恋したりすることが、たまらなくうざったい。愛が世界を救うなら、私のことも救ってくれるなら、どうしてこんなに陽の光が体に痛いのか、希望の象徴の全てが、総力を挙げて気づかないうちに殺している。ずっと季節が春のまま、置いてけぼりの心とどっかに消えてしまった自分が、未来の愛される自分を夢見ているカルマが終わらずに、ずっと病気のまま勘違いをしてしまう。全然うまくまとまらないし、もうこういう風に自分をさらけ出してそれが誰かに見られることが恥ずかしくてたまらない。完全に無駄なことだとわかっていて、どこにも愛など存在しない全て嘘と詭弁なのに、花や音楽を美しいと思いたいし、同じ美しさで感動したいなんて周りの普通と自分の普通を合わせるのに必死なんだ。どれだけ涙ぐましい努力をしても、今の自分がどこにも居ないのだから全て嘘です、だから24時間テレビとかで私が死んだ後に美談にすり替えられたとしても、全然意味がない。もうどこにも意味を見出せないのがこんな矛盾しきった矛盾で成り立つ世界なのだから、どこにも希望を持たなくていいし、無理に絶望で埋め尽くす必要もないのに。愛されるためになんだってするなら、こんな文章を書いても毅然とした態度で街を歩きたい。人と目があっても殺されない自分でいたい。どこにもそんなものはいない。いつまでたっても、何度生き返っても、いつも同じルートでいつも同じところでゲームオーバーで、無双モードにはなれなくて、裏ルートも存在するなんて嘘だった。本当は、嘘だった。本当も嘘もないところがたぶんあの世だから、もういいや。なにもかもどうでもいい、馬鹿らしくなった。馬鹿で無駄でそれが今の自分なら、誰がこんなものを愛してくれるというのだろう。早くハッピーにしてくれよ。いつになったら自分は自分に満足してくれるのか、自分が変わることが無理なら演技で嘘でいいから、愛されてみたい

ド派手なブレーキ

寝て起きたら記憶なくなってること多々!

都合のいい頭で適当なこと言って生きてるわ、遮光カーテンで朝の光も手に入れられないから好きな人の動画みてる

みんな死ねばいいって口癖のように言っていたらそれって反動形成だよなーって言われた。

 

どこに怒りや悲しみをぶつけても社会的に見ればマイナスでしかなくて、そこをわかってくれる人って大体なんも考えてないし、あーまたやりきれないなって今日こそはの今日が毎日明日に成り下がるんだよ

夕暮れ張り詰めた絶望の気持ちの行列に割り込んだ、ってこんなに鮮やかに全部拾ってる歌詞なのにどうして知らない人ばかり

2年前となんも変わってなくて面白い

2時間前に起きたのに布団から出られない

悲しみを金にして、怒りで花を咲かせられたらね。今度もし目があっても逸らさずいられるかな。強くなれないよ

 

自分はずっっっっっと愛だと思ってやってきたすべてが、普通からすると愛ではなかったから、どんなに自分を削ってもそれはただの自己犠牲でしかないのです。闘ってたの伝わらなかったのなら私の努力不足力量不足です、もう探さないというのはもうみつけられないとわかったからだよ 2人はすれ違ってばかりな歌ばかり歌う歌手

自分が足りないのかあなたが足りないのかその両方かもしれないね。みえなくなるものの価値が一生わからない。

ずっとはやく卒業したくて生きてきて明日卒業するけれど、もう意味も付加価値もなくなっちゃったよ 誰も見てくれなくても咲いている花に一生興味を持たない人が愛する人の名前

 

去年の春は春全開の外の世界すべてに何かにつけてブチギレていた、全部季節のせいにしてなかったことにしようとしたけど無理だったわわらい

さようならさえももう届かなくなり、また春が来ますが、もう何も触れられない、もうすれ違うことすらない 正しい娘 溶けたアイスといっしょに絶望して適当な幸せでなんか満足しちゃっている。自分を大切にすることが一生できないから正しく愛せないんだって、お前なんかにわかったふりされてたまったもんじゃないよこっちは 羽根も生えていない 色も知らない それなのに全部をわかった気になっているお前が 川をはしる輝きと自分の足が街中に広めたのがお前なんかの孤独だということが、他人の愛がわからないからそれは違うと言ってしまう心の貧しさなのでは?

 

私は私の完璧に基づいた適当で考えていますが、考えてくれますか?

何文字連ねても孤独も愛も伝わらない

この生きたさと、死にたさが現世

 

小学生の頃、友だちが落書き帳に描いてた絵を見せてと言ったら見せたくない!と拒否られ、悲しくてくやしくて見せたくないなら描かなきゃいいじゃん!と言ってしまったらいじめにあいました。

そういうことですよ世界は 

自分の頭と他人の頭が言葉じゃなく正確に繋がれば楽なのにといつも思う 私が全部悪いと思った。

 

でも、その1ヶ月か2ヶ月後、友だち5人くらいが寄ってたかってプロフィール帳の私のページの私の顔に酷い落書きをしてた場面に遭遇したなー

おかしいな?

どうして怒りでしか悔しいや悲しいを表せられない心の貧しさで私も貴方も大人の顔して生きているんでしょうか、今になっても。私は今でも心が子供だから、なんも許してないよ。ひとつも。

大学生の何パーセントが読書時間ゼロ、っていうニュースをちらっと見た

心の貧しさはそこから来ているのでしょうか。本なんか読まなくても、なんの知識がなくても、自分の一般論のままでない、考え抜かれた愛の概念によって生まれる優しさがそこら中にあればみんなの思う平和なんてすぐそこなんじゃないの。実際あるのに、気づかないふりをしている/本当に気づいていない人のせいで、全部嘲笑われて終わっていく

好きだから全部おしえては愛じゃなくて独占欲なの?ド派手なブレーキがけたたましく住宅街に響いて、朝が終わった

反則(2018年の下書きより)

出来ることで自分を語る人よりも、

出来ないことで自分を語る人のことが愛しくてたまらない。

わたしも同じことを思っていたし、そういえばいまも変わらずそう思っています。

 

自分が着なくなった服を譲ると言っただけで絵文字たくさんつけて画面いっぱいに喜んでくれる年下の子、ほんとうはずるかったり、ほんとうはべつに大したことなくて、いつか失望させてしまうのだったらごめんね。

だれとも未来を約束できない、人間みな等しくいつか死ぬのだから、それならもっと使い果たしたい。だから同時になにも要らない。なにもなければ、煩わしい気づかいも、読めない漢字も、わからない世界の仕組みも、ぜんぶ必要がない。無駄に思えることを無駄に他人にしてあげられる人が大好きだ。そういう人と、もっと生で、もっと近くで、もっと乱暴にわかりあいたい。

わからないと言ったら諦められるのも、呆れられるのも、どちらも傷つくのに、大げさに傷つくと笑われる。傷つかない人がかっこいいなんていう価値観しね。雨の日はもっとぜんぶを嫌になったり、だれかに大声で悪口を言われて興奮したり、メールの文脈が読み取れなくて勘違いしたり、そういうのでもっと傷つきたい。傷ついたらそのぶん強くなれない、相応に強くなれないことが自分にとってずっと謎で、なにが間違ってるのか、周りの大人を見習おうとしたけれど、みんな等しくなにかに日々傷ついているはずなのに、だれも向き合わずに、いつか死ぬことだけを夢見て忘れる努力をする。どうしてそうなのか、自分もそうなってしまうのか、と思うと背筋が凍った。傷ついたらそのぶん強くなれないから、また傷つく、傷つくことが怖いのは死ぬことが怖いのと同じ。どうせ最初から分かりきっているのなら、思い切り回り道をしたい。嘘やまやかしで自分を言い聞かせることを幸せというのなら、わたしは幸せでなくていい。

 

いけないことばかりして叱られたい。叱られても目を逸らしてばかりで、いつの間にか呆れられても、帰り道に寄り道して1時間100円で歌ううたがひどく心に沁みることが出来るから、いつか死ぬから忘れる努力をするような人と関わりを絶って自分に酔うくらい、また明日も好きな人のことを考えて、生傷たくさん作って、死んだら読んでもらえると期待して文章を書きます。

 

べつにいま、死ぬことを考えることも出来るし、深夜なのにアイスを食べようかこのまま起きていようか迷うことだって出来る。なのにいつもめんどくさい方を選んでしまう。死ぬことは簡単だから、今すぐ死ぬことを選べないなら、こんなにも面倒を巻き込みながら、醜く生きてしまうだけだ。

どうしてもわからないことがこの世にはあるけれど、考えるのをやめたら死ぬから考え続けるし、もっと無駄なことばかりしたい。わからないことが怖いけど、叶わないことはべつに怖くない。死ぬのがわかっているからなんでも出来るし、なんにも出来ない。ゼロか100かじゃなくて、ゼロも100もある。だからもっと簡単なのにと思う。どうしてほんとうのほんとうはもっと無垢で、簡単で、どちらかの感情なのに、どんどん言い訳をくっつけて逃れようとするの。変わらないことは無理だけど、変わらず愛することは苦じゃない。自分は他人にはなれないけれど、自分のままでいることは簡単だから、こんな自分を慕ってくれる人もほんとうにびっくりするけど、少しいるんです。こんな私なのにと思うほど、あの人に認めてもらいたいと強く思う。こんなに思うのに叶わないことが、とてつもなく生きているかんじがする。どうせ死ぬならもっともっと嫌われたい。愛されないなら呆れられたい。

 

暗い考えも、あっけらかんと笑顔で話してしまえる人が好き。それを許して受け入れてくれる人が稀有だから、まだスーパーの店員としか話さない一日とか過ごしてしまう。相手がわたしを理解しようとする努力を諦めることも、その努力を無下にして嘘ばかり伝えることも簡単に出来る。だからよくわからないと言われる。諦めた態度をとられるとこっちだって冷める。どうでもいい人にだったらいくらでも、冷めた目で、嘘ばかり言いたい。

 

ずっとわたしのことを忘れずに、常に考えてくれる人が欲しかったと言ったら、大丈夫。ずっと忘れないよ、と言ってくれた。その時救われたと思った、今まで傷ついたことがすべて報われたのだと思った。だけどわたしはバカ正直に好きしかなかったから、もっと複雑になれなかった。根本はずっと変わらずに、ずっと一途に大好きで、でもそれだけじゃつまらないと思われてしまうから、色々言い訳をくっつけてわかりにくくしてしまった。そうしたら、結局は諦められてしまった。

 

 

どれだけ自分の行動の見た目は難しくて、危なっかしくて、それでいて絶対に嘘だと思えるくらいの信用性のなさだったとしても、その行動を突き動かすものはいつだって単純だった。自分には素直に伝えて喜ばれるほどの魅力はないと思っていたし、そんなの自分が一番つまらなかったから、どんどん無駄を積み重ねてしまったんだ。嘘やまやかしはいつか自分の足を引っ張るから、そんなの使わなくてもいいように、わたしだけを見て欲しかった。

無視するのならせめて目を見て欲しかった。

 

わたしはいつまでも変わることは出来ないから、だから一瞬でも、今どうしても欲しいって気分にさせたい。わからないと思っても諦めずに考え続けるから、見返りを求めては愛ではなくなるのなら、どうせなら嫌われるくらいに目を見てくれるまで追いかけたい、死ぬまで毎日ゼロも100もあるけれどその中間はない混沌で悩み続けたら、その先にあるのが天国や地獄なら、なにもわからなかったとしても、わからないままでもがいている。何も理解されなくても、すべて同じ価値観の人など存在しないのだから、べつに無駄でもない。わかりあおうと努力した先にいつも結果があるわけではない、だからべつに。すべてを理解しあえなくても、過去のなにかをずっと許せなくても、それだけでわたしを諦めて欲しくない。ずっと理解できなくていいし、ずっと許せないのならずっと謝る。この世のどこにも無駄なことなんてほんとうはない、だからもっと恥ずかしくなるくらい愛してるって言いたい。